私の親は、やれピアノだの、公文だの、中学受験だのと言って幼い私と姉を責め立てて、姉を摂食障害と家庭内暴力に追い込んだ。
好き嫌いを決して許さないこと、のどが渇いても飲み物をもらえなかったことも辛かったが、おじいちゃんの家で、いとこたちが楽しく遊んでいても私と姉だけはピアノと公文をやらなければならず、みんながまだ遊んでいるのに早く床に就かなければならなかったことが切なくて、今でも思い出す。
完璧主義というのだろうか。
親は非常に厳しかった。
親の望むことに、姉はついていけずに早々にドロップアウトした。
特に、かわいそうに、姉は学校の勉強があまりできなかった。
それは、「学歴大好き」と公言するうちの親の元で育つには、致命的な欠陥だった。
今でも覚えている。
子どもの頃、親に理不尽につらく当たられて、そのあと子ども二人になった時、
私は「自分の子どもが生まれたら、私も同じように育てる。いっぱい怒って育てる」
と言った。
姉は、「私は優しく育てる」
と言った。
そんな姉だったのに、中学に入ってから、摂食障害と家庭内暴力。
その頃、家庭内暴力の本を読んだのだが、うちの姉よりひどい事例は載っていなかった。
いつもいつも不機嫌で、私の体には生傷が絶えなかった。
死ね、デブ死ねと言われ、安らぎのない毎日だった。
私は、姉の暴力暴言を受けながら、親の望む道を進み続けた。
勉強。成績。
姉がめちゃくちゃなので、私くらいはしっかりしないといけないと思っていた。
姉というわかりやすい脅威があるので、親にかわいがられなければ生きていけなかったということもある。
それがまた、姉には面白くない、という悪循環だった。
姉は、問題児。
私は、おりこうさん。
そんな期間が長く続いた。
私は親が望むまま、大学院まで行った。
親の望む職に就いた。
それから、うつ病になった。
私は、うつ病になったのは、幼少期からのストレスと、勉強の頑張りすぎと、両方が原因だったと思う。
親に対しては、2人育てて、2人とも精神疾患にしたと思っている。
もしも私に何かあったら、親は私の子を手元で育てる心づもりをしているみたいだが、勘弁してほしい。
元気でいなければならないと思う。